あきこダイアリー

日々の垂れ流し。

3.11

今日で東日本大震災から10年が経つ。

あっという間だったような、長かったような。

 

いろいろなSNSで追悼や当時の記憶を投稿されているのを見かけた。

映像を見て恐怖した人、帰れなくなってしまった人、家が壊れてしまった人、

そして家族や友人を亡くした人。

様々な経験や喪失があったと思う。

10年の長い年月を経てなお

3.11という日は、それぞれの傷跡を疼かせる。

 

 

わたしは当時宮城県に住む高校生だった。

大きな揺れ、机の下に隠れたこと、

先生の必死な呼びかけ、

非現実なシチュエーションに困惑とかすかな高揚感。

ラジオから聞こえる戦争のような被害者の数。

今でもまざまざと思い出すことができる。

 

それでもわたしの家族は全員無事だったし、

沿岸部に知り合い親戚もおらず、

家も潰れず食料もなんとかなった。

親も失業する職業ではなかったので

被害というほどでもなかった。

いや、それなりに大変だったのだけれども、

この程度で被災者と言っていいものではない

という雰囲気があった。

 

 

当時、”不謹慎”というワードがよく聞かれた。

「被災して苦しんでいる人がいるのに、不謹慎よね」

「亡くなった人もいるんだぞ!不謹慎だろう」

そうかもしれない。

わたしは誰も亡くしていない。

だから被災者というのも、

怖かったのだというのも、なんか不謹慎かも。

そんな気持ちになった。

 

それから10年、今。

わたしは3.11には震災について口を閉ざす。

何を言っても感動ポルノに乗っかっているだけのような気がして。

わたしの経験ごとき、語るべきではない気がして。

 

あのとき、波に飲み込まれた人がいた。

繋いだ手が、助けを求めた手が、流されていくのを見た人がいた。

戻る故郷を失ったままの人がいる。

 

わたしは何も失わなかったのに

ボランティアにも、被災地を見ることさえしなかった。

怖かったから。

そんなわたしが。震災を語ってはいけない気がしてしまうのだ。

 

 

長々と後悔を垂れ流して何がしたいのかというと。

わかりやすく、大きな声で伝えられるものだけが

すべてではないということ。

世界中がつながる今、

目に見えるように表現しなかった人を

批難するような傾向があるようにも思う。

同調圧力とでもいうのか、

悲しいだろう!つらかっただろう!

哀悼しろ!なんでそうしないんだ、黙っているということはそう思っていないのか!

小さな苦しみなんてたいしたことない、もっとつらかった人がいるんだから!ほらほら!

 

そんなふうに感じてしまうのだ。

 

 

だからわたしはこっそりと思い出す。

そして、ぐちゃぐちゃな記憶に浸る。

それがわたしの3.11の追悼だ。

ここに書いても誰も見ない。

だからこそだ。

 

 

亡くなった人はもう還ってこないけれど。

わたしには、その苦しみはわからないけれど。

どうか、少しでも今生きている人が幸せでありますように。

わたしの子どもたち、未来に生きる人々も幸せでありますように。

 

ただ、そう祈る。

 

 

「花は咲く

 いつか恋する君のために」